中国と出会って60年(講演)
中国と出会って60年――日本の敗戦から80年を迎えようとする今おもうこと
【日時】
2024年11月24日(日) 15時~17時
【会場】
立教大学池袋キャンパス 12号館2階会議室
【講師】
酒井 誠氏(中国国際友人研究会名誉理事)
1947年生まれ。
1965年、都立高校卒業後、北京語言大学留学。
1972年から日中友好協会事務局長・常務理事、公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団参与、特定非営利活動法人 日中医学交流センター 事務局長・常務理事、一般社団法人対外文化交流協会 理事長を歴任。
この間、平山郁夫シルクロード美術館評議員、松山バレエ団理事、日中韓文化交流フォーラム日本委員会事務局長を務める。
著書に、
『酒井定吉とその時代―― 一共産主義者の星霜』(知道出版、2024年)。
東京新聞・書評「正史にない父子の軌跡 [評]米田綱路(ジャーナリスト)」。
帯の文章「反戦投獄15年、風雪に耐え抜いた生涯:中国へ留学して毛沢東思想に傾倒した息子と激しく対立し、断絶したまま逝った父――没後50年の時を経た息子誠の静かなる追想の旅は、自らの思想への痛切な問い直しでもあった。」
共著に、
奥村 和一・酒井 誠『私は「蟻の兵隊」だった: 中国に残された日本兵』(岩波ジュニア新書537、2006年)。
出版社による本の紹介「中国に残されたのは孤児だけではなかった。上官の命令に従って、アリのように黙々と戦中も戦後も戦った人たちがいた。内戦にまきこまれ、 残留兵2600名のうち550余名が戦死.負傷し解放軍に捕まった奥村さんの体には 、今も砲弾が突き刺さったままだ。老いてなお、 戦争の責任を問いつづける元日本兵の執念」。

【概要】
来年2025年は、日本が日中戦争・太平洋戦争に敗戦して80年を迎えます。
1931年9月に中国への侵略を開始(満州事変)した日本は、1937年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに全面的な侵略戦争へ進みました。そして1945年8月15日に日本は無条件降伏し、日中間の戦闘行為は終結する、はずでした。
しかし、上官の命令で、皇軍として中国で戦闘を続けた残留日本兵がいました。幾多の困難の末、日本に帰還した元日本兵に対して日本政府は、みずからの意思で残留したとし、国家は関知しないと見捨てたのです。酒井氏は、一人の元日本兵の国家賠償請求裁判闘争に寄り添いました。それは、酒井氏の歩んだ道と重なりあう重い事実でした。
敗戦から20年たった1965年、高校を卒業した酒井氏は北京にいました。父親の影響を受けた氏は、日本共産党の要員として外国語を学ぶために北京大学に留学するはずでした。
北京に来てすぐ、毛沢東が発動した中国文化大革命が起き、紅衛兵運動が熱狂の嵐となって氏の周囲にも及びました。氏は、大日本帝国の弾圧で獄中生活を送った父親と、思想的にも組織的にも、家族としても決別する結果になったのです。
帰国後、酒井氏は日本と中国との交流に従事し、平山郁夫氏が会長を務めた社団法人日中友好協会の事務局長・常務理事などを歴任しました。中国と出会ってから60年になろうとしている今、氏が中国について、そして中国との関係について想うことを語っていただきます。
【参加について】
会場参加、オンライン参加ができます。
参加費無料。
会員外で参加を希望される方は、
application@roaee.org(恐れ入りますが、全角文字の「@」を半角文字の「@」に置き換えてください)宛、
[お名前・ご所属・参加人数・メールアドレス、会場参加かオンライン参加か] をご明記の上、
11月20日(水)までに
お申し込みください。
オンライン参加の場合、11月23日(土)までにZoom参加URLをご記入のメールアドレス宛にお送りします。
会場参加の場合、先着順に申し込みを受け付けます。申込みが定員を上回った場合は、参加をお断りするメールをご記入のメールアドレス宛にお送りいたします。

